司馬遼太郎という道 [育児]
日本人の男性が成長の過程で文学という道を一度、
必ず通らなければならないとする。
その道は司馬遼太郎へと至るといっても過言ではない。
私は氏の著書を多く読んできた。有名なものはほぼすべて読んだ。
歴史や人の道を学ぶことができた。
現在は、氏の名著は、これらメインストリームの外に
ひっそりと佇むものの中にあるのではないかとも
思っている。
最近読んだ本に、風塵抄(中央公論社)がある。
その中の高貴なコドモという文章。
結論は、
人間はいくつになっても、精神のなかに
ゆたかなコドモを胎蔵していなければならない
というものだ。
大人になっても、コドモの心を大切にという
ことだが、コドモ=幼稚
と早合点してはならない。そんな単純な
ことではない。
氏はこう記す。
音楽を聴いて感動するのは自分のなかのオトナの部分
ではなく、コドモの部分である。
氏は江戸後期の航海家で商人だった高田屋嘉兵衛を
取り上げる。嘉兵衛の偉大さは、十二歳で世間に出ながら、
コドモをみずみずしく保ちつづけたことにあると言う。
嘉兵衛は卓越した操船技術を持ち、気象や潮流にも習熟
その為、事故をおこさなかった。これはオトナの部分の機能
だと言う。
が、激潮がうずまく水道(国後と択捉の間)を航海できる
特別の航法をかれが着想したのは、そのゆたかなコドモの部分
であり、想像力と創造力は、オトナの部分のはたらきでは
ないという氏、独自の結論に至っている。
最後に氏は育児の上で大切なことも述べている。
「家庭や学校で、子供にわざわざ”子供っぽさ”を教育
することはない。責任は回避すべからず、擬態でごまかすべからず、
というふうに真のコドモを作るべくしつけるのが、精神のなかの
コドモを充実させることなのである」、、、と。
必ず通らなければならないとする。
その道は司馬遼太郎へと至るといっても過言ではない。
私は氏の著書を多く読んできた。有名なものはほぼすべて読んだ。
歴史や人の道を学ぶことができた。
現在は、氏の名著は、これらメインストリームの外に
ひっそりと佇むものの中にあるのではないかとも
思っている。
最近読んだ本に、風塵抄(中央公論社)がある。
その中の高貴なコドモという文章。
結論は、
人間はいくつになっても、精神のなかに
ゆたかなコドモを胎蔵していなければならない
というものだ。
大人になっても、コドモの心を大切にという
ことだが、コドモ=幼稚
と早合点してはならない。そんな単純な
ことではない。
氏はこう記す。
音楽を聴いて感動するのは自分のなかのオトナの部分
ではなく、コドモの部分である。
氏は江戸後期の航海家で商人だった高田屋嘉兵衛を
取り上げる。嘉兵衛の偉大さは、十二歳で世間に出ながら、
コドモをみずみずしく保ちつづけたことにあると言う。
嘉兵衛は卓越した操船技術を持ち、気象や潮流にも習熟
その為、事故をおこさなかった。これはオトナの部分の機能
だと言う。
が、激潮がうずまく水道(国後と択捉の間)を航海できる
特別の航法をかれが着想したのは、そのゆたかなコドモの部分
であり、想像力と創造力は、オトナの部分のはたらきでは
ないという氏、独自の結論に至っている。
最後に氏は育児の上で大切なことも述べている。
「家庭や学校で、子供にわざわざ”子供っぽさ”を教育
することはない。責任は回避すべからず、擬態でごまかすべからず、
というふうに真のコドモを作るべくしつけるのが、精神のなかの
コドモを充実させることなのである」、、、と。
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